MENU

「ハイデッガーに学ぶ、かけがえのない『今』を生きる考え方」

「もう残り少ない人生だから、生きている意味なんてないのではないか…」

「どうせ死ぬんだから、頑張っても無駄だ…」

こんな風に感じたことはありませんか?人生の終わりが避けられない現実に直面すると、

「自分はなぜ生きているのか?」という深い疑問や不安が心に湧き上がってくるものです。
ご年配の方と接していると、このような実存的な悩みを抱えている人がとても多いですし
わたしもその一人です。

年齢を重ねるごとに、この問いに対する答えを求める人は増えていきます。
実は、この人間存在の根源的な問いに対して、ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーは深い洞察を提供しています。彼の哲学は、私たちが生きる意味や存在について新たな視点を与えてくれます。

しかし、ハイデッガーの哲学はその難解さから、手を出しにくいと感じる人も多いでしょう。
私もまた、その一人です。

ブロガーであり会社経営者でもある「飲茶」さんの著書『あした死ぬ幸福の王子』には
ハイデッガーの考えが、とても分かりやすくまとめられています。

『あした死ぬ幸福の王子』を通じて、ハイデッガーの哲学が私たちの生き方や存在についてどのような示唆を与えてくれるのか、一緒に探求してみましょう。


目次

人生は有限だからこそ今が輝く

皆さんは旅が好きですか?たとえば、2泊3日の沖縄旅行を計画するとき、「どこに行こうか」「何をしようか」とワクワクしますよね。しかし、もし永遠に沖縄で暮らすとしたら、最初の興奮は薄れ、日々が単調で味気なく感じられるかもしれません。

仮にこの世から死がなくなり無限に生きられるとしたら、人は自分の人生を真剣に考えたりしないだろう?

明日死ぬ幸福の王子 P.155より抜粋

ハイデッガーは、「死を意識して生きること」を「死の先駆的覚悟」と呼んでいます。この考え方に、私は深く心を揺さぶられました。

確かに、いつか行きたい場所や、やりたいことがあるなら、人生が有限で、次の瞬間にでも死が訪れるかもしれないと考えると、「いつやるの?今でしょ?」という気持ちが自然と湧いてきます。

「死」は恐ろしいものですが、だからこそ「今」を精一杯生きるための原動力になり得るのです。
まるで、一本取られた気分です。

ハイデッガーは、死を意識した「本来的な生き方」をしなさいと言っています。
では、その「本来的な生き方」とは一体何なのでしょうか?

道具的に生きるな!本来的に生きよ!

ハイデガーはほとんどの人間が「非本来的」に生きていると言います。

人間は自分がどんな存在であるかを問いかける存在である

明日死ぬ幸福の王子 P.122より一部改変して抜粋

そもそも「私ってなんのために生きているの?」と意味を考えてしまうのが人間だというのです。
これは確かにって感じですよね。

それならとことん自分のために生きていけばいいわけですが、
ハイデガーは、ほとんどの人間は「世間」の操り人形として生きていると指摘しています。

これは共感できる人が多いのではないでしょうか?

・服を選ぶとき、店員さんや流行にあわせて決めている
・人に頼まれた仕事や作業で一日が終わる

ふと振り返ってみると、自分ではなく他人の視点でいきていることに気づかされます。

自分がどんな存在であるかを考えるのが人間のサガなのなら
他人の視点で生きている自分というのは、なんともったたいないことでしょうか。

負い目があるから、今がかけがえのないものだと感じられる

とはいえ、一生懸命に「本来的に生きよう!」と決意しても、思い通りにいかず、無力感に襲われることは多々あります。

ハイデガーによれば、人間はそうした状況で「負い目」を感じるものだと言います。
この「負い目」とは、後悔や罪悪感といった感情を指し
自分に対して何かが欠けていると感じたときに生じるものです。

ハイデガーは次のように説明します。人間は有限の存在であり、その限界ゆえにできないことが出てきます。
できないことがあると、人は無力感を覚え、それに伴って「負い目」を感じるのです。

『あした死ぬ幸福の王子』のP.180には、こう書かれています。

「人間が感じる負い目には、以下のようなものがある。」

  1. 過去への負い目: 過去の選択や行動に対する後悔。
  2. 今への負い目: 現在の自分があるべき姿に達していないという感覚。
  3. 未来への負い目: 将来に対する不安や期待に対するプレッシャー。
  4. 他人への負い目: 他人に対して果たせなかった義務や恩義に対する感情。

ハイデガーは、どんなに「本来的に生きよう」としても、人間はこれらの「負い目」を感じずにはいられないと言います。

しかし、この「負い目」を感じること自体が、逆説的に「今がかけがえのないものである」ことの証明だと彼は指摘しています。負い目を感じるということは、それだけ「今」という瞬間に重きを置いている証拠なのです。

たしかに、こわれても代わりがいくらでもある状態だったら後悔など生まれません。
私たちの人生が、いわば一点ものである証拠なんだ!

これには、再び一本取られたような気持ちにさせられました。

今を大切にいきろ。

過去とはすでに過ぎ去った「今、今、今」である。未来はこれから来るであろう「今、今、今」である

明日死ぬ幸福の王子 P205より抜粋


ハイデッガーは次のように述べています。

  • 過去は変えられない、一方的に与えられたもので、これを「被投性」と呼びます。 ハイデッガーはこれを「宿命」と表現しています。
  • 未来は、無限の可能性の中から一つを選ぶ「企投性」があり、自由意志が働く領域です。

つまり、過去は変えることはできないが、未来に向けては自分で選択ができるのです。ハイデッガーは、「死を意識し、かけがえのない『今』の選択を他人に流されることなく、自分自身で大切に決めなさい」と説いています。

このハイデッガーの哲学には、私は仏教的な要素を感じました。東洋的な思想である仏教と、西洋的な哲学者であるハイデッガーが、異なる文化背景を持ちながらも同じような結論に達していることに、深い感銘を受けました。

まとめ

いやぁ、ハイデッガーさん、難しいことを言っているけれど、実はとても深いことを伝えてくれているなと感じました。みなさんはどう感じましたか?

死ぬことは怖いし、老いることも怖い。失敗や後悔も、できれば避けたいものです。生きていると、そんなネガティブな感情に押しつぶされそうになることもありますよね。

でも、ハイデッガーの言葉を聞いていると、そんな感情さえも、「それって、あなたの人生がかけがえのない『一点もの』である証拠だよ!」と背中を押されているように感じます。

「じゃあ、あなたの生き方をどうする?いつやるの?今でしょ?」

ハイデッガーは、ネガティブな感情を生きる力に変換してくれるのです。この本を通して、彼の思想の一端に触れることができたのは、大きな収穫でした。


最後に、あなたはハイデッガーの思想から何を感じましたか?この機会に、
ぜひあなた自身の「今」を見つめ直してみてください。

一度しかない人生QOL高めていきましょう!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

■作業の視点で安寧と幸福を促進するOccupational Therapist
■QOL(Quality of Life)向上のための知識を網羅的にまとめることで、生きとし生けるもの全てが幸せになるお手伝いができれば嬉しいです

このブログが私たちの今を輝かせ、人生のQOLを高めるお役に立れば幸せ!そういう気持ちでブログを書いています。

あなたの人生がますます輝き幸せに溢れますように!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次