文脈としての自己ってなに?
なんだか最近、「自分ってよくわからないな」って感じること、ありませんか。
誰かに紹介するときの「自分」もいれば、
気分にゆれ動く「自分」もいる。
そしてもっと深いところに、
ただ静かにすべてを見つめている「自分」がいるような気もする——。
アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)では、
こうした“自分”をいくつかの層に分けて理解します。
この記事ではその中でも、
ACTの中心的な考え方である「文脈としての自己」について、
やさしく、丁寧にひもといていきます。
1. 概念化された自己

「俺はこういう人間だ!」という“自分像”
ACTでは、「概念化された自己」とは、
私たちが過去の経験や人からの評価をもとに作り上げた“自分の物語”を指します。
- 「私は内向的だから…」
- 「昔から運動音痴で…」
こうした自己イメージは一貫性を保とうとする反面、
ときに私たちの「可能性を制限する“足かせ”」になってしまうことがあります。
2. プロセスとしての自己

「あ、今わたし◯◯してるな」と気づいている“意識”
次に登場するのが「プロセスとしての自己」。
これは、“いま・ここ”の体験を自分で意識しながら感じ取っている自己のことです。
たとえば、
- 「おおっと、今わたし眠い」
- 「今ちょっと緊張してる」
そんなふうに、自分の感情や行動を“実況中継”している自分。
これは気づきの力そのものであり、日常の中でも比較的アクセスしやすい自己です。
以上
自分というものでイメージするのはこの2つではないでしょうか?
ACTで一番掴んでおきたい「自分」の感覚はこちら
⇩
3. 文脈としての自己
そして最後に紹介するのが、ACTの中核をなす「文脈としての自己」。
これは一言で言えば、「どんな感情や思考があっても、それを眺めている“視点”としての私」です。
■ 不思議な部屋のたとえ話

想像してみてください。
あなたは、部屋の天井にある監視カメラのような視点になっています。
部屋の中には、いろんな人(=思考)が出入りします。

- 「どうせ失敗する」
- 「きっと大丈夫」
また、部屋の中にはさまざまなインテリア(=感情・身体感覚)があります。
- 散らかったゴミのような怒り
- キラキラとした希望のような感覚
でも、あなた(=カメラ)はそれらをただ見つめているだけ。
思考や感情がどれだけ騒がしくても、それに巻き込まれずにいられる場所——
それが「文脈としての自己」です。
■ なぜ大切なの?
この視点を持てるようになると、
ネガティブな考えや不安に飲み込まれることなく、
ただ「それがある」と気づくだけの状態でいられます。
嵐の中で実況中継している自分から、大気圏を離れて人工衛星から眺めている
そんな感じ。
行動を決めるのは、“感情”や“思考”ではなく、
それを見つめるあなた自身——つまり「文脈としての自己」なのです。
ACTの目標は
ネガティブな感情を上手にいなしつつ、自分にとって大切な行動を起こしていきましょう。と言うこと。
つまり
■ マインドフルネスで育てる「視点」

この文脈的な自己は、マインドフルネスの実践によって培われます。
「今、ここにいる自分」に立ち戻ること。
そして、考えや感情を“良い・悪い”と判断せずにただ見つめること。
マインドフルネスを行うと
今までザワザワしていた心からすーっと遠ざかり
マインドフルネスを行うことで、「文脈としての自己」の感覚を得やすくなります!
◆ まとめ:あなたの中にある「3つの自分」
自己のタイプ | 特徴 | 役割 |
---|---|---|
概念化された自己 | 自分の物語・評価 | 安定性の確保(ただし固定化に注意) |
プロセスとしての自己 | 今の気づき・実況 | 気づきと自己調整 |
文脈としての自己 | 視点・意識そのもの | 自由な選択と受容 |
まとめ: 今日からできること
いかがでしたか?
いかに「自分」って固定化されていたか
に気付けるのがACTのいいところ。
- 固定化した「自分像」にとらわれていないか見つめてみる
- ふとした瞬間、「今、私は何を感じている?」と問いかけてみる
- 呼吸に意識を向けて、静かに“視点としての自分”に戻ってみる
「自分とは誰か?」という問いに、正解はありません。
でも、“自分をどう扱うか”は選べるのです。
日々の中で、少しずつ「文脈としての自己」とつながりながら、
一度しかない人生を、自分らしく歩んでいきましょう。
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